
聖なるエネルギーの循環の仕組み
今までの事はみな「型」であった。
江戸(人の多く集まる場所のこと)の仕組みも、お山も、みな「型」であった。
鳴門(渦潮)と渦海(沼、湖など)の仕組みもできた。
神々が、その仕組みをすべて作った。
あとはそれを知る人間が増えること。
江戸とは東京のことだけではない。
人の多く集まる場所を指している。
本来、多く集まると、人々の活き活きとした氣が入るもの。
今、都会に住む人々が、どのような氣を発しているか、想像してほしい。
どんなに汚れているか見当つくはずだ。
お山もどこも汚れている。
お山の数え方は、ひと山、ふた山、ではない。
一座、二座、三座…
それは、神々がご鎮座されているところからきている。
お山は、神々のエネルギーを入れるところ。
それを誰でも彼でも好き勝手に入って、汚しているから、
どんどん不調和な状態になっているお山がたくさんある。
本来なら、人が近づいてはならない場所もたくさんある。
富士のお山が、穢れている。
我慾のために登る人のなんと多いことか。
畏敬の念、感謝のエネルギーが足りないどころか、
どんどん不調和な振動波になっていく。
鳴門の渦潮は、日本の良くない気を吸い込んで調和させる場。
その力が弱くなってきている。
人間が出した要らんエネルギーを天に吸い上げる都市もある。
身魂が磨けた人間のお役目は、
それらを理解し、そのお働きを神に感謝すること。
神聖なお山、鳴門、必要な場所に光を入れるのが人間のお務め。
やまとの魂
現代人がいう大和魂と申しているものと、神の魂とは違う。
誠のやまとの魂をもっているなら、
大局を見ることができる。
私利私欲で動かない。
摂理を大切にする。
争いを解決の手立てにはしない。
高潔であり、調和の方向に導く。
自分の役目を悟られている。
それは、自分の直観にしたがって決心し、行動しているということ。
身と魂が繋がっているということ。
我がないということ。
静かな一人の時間を持ち、
目を閉じて、そのような自分であると想像してほしい。
それだけで、良い気は流れ始める。
日の出
今までの智や学は過去のもの。
しかし必要なものもある。それを見極める必要がある。
智や学は頭を満たし、心や御魂が発する言葉を邪魔する。
御魂が主、智や学は従。
神は頭に宿るのではなく、身魂に宿る。
心を清めて、神々に心を開く。
日々、感謝し。こだわりを捨てていく。
そうすれば、心は静かに落ち着く。
周辺はエゴの渦だから、常に中心に戻る。
巻き込まれないでほしい。
我よしのエゴと、外の世界への意識から離れる。
身魂磨きが八分、活動は二分。
火と水を組みて、人となる。
人に直々の恵みをくださるのは、「水」と「月」からの引力。
水は身を護り、火は魂を護る。
火と水を組み組みて、人となる。
国土も同様。
地球も御魂とお土がある。
日本の土にも魂が宿っている。
沼や湖のような渦海の御用も大切。
流れてきたものが、そこに溜まって循環し、変換し、また流れていく。
沼、湖、川、森、山…、神々しい場、心地のよいと観じる場は
すべて自然が織りなす変換装置。
人も同じ。
本来、入ってくるものを、聖なる氣に変換するのが人間。
その方法を伝える。
外からの刺激で湧き起こった我の感情や思いから、
すぐに離れて、中心に戻るように意識する。
中心に戻れると、静かな心になれるから分かる。
そして、周辺に湧いた感情や思いがだんだん小さくなるのを待つ。
小さくなっていくのが分かったら、
それができた自分に愛と感謝を伝える。
それが神と和合した自分の力であり、愛であり、善き循環。
聖なる気となる。
今は、聖なる氣に変換できずに、そのまま流しているものが多い。
もっと汚して流している者、流さずに溜めている者もいる。
溜めると、腐る。穢れてくる。
日々、内省、振り返りの繰り返し。
内省も立派な知能の一つとなる。
この記事は以下の書籍の内容の一部を抜粋し表現を変更して掲載しております。
参考・引用:書籍「よひとやむみな」穂乃子 著 110p – 124p
ナチュラルスピリット出版
