
遠くて近いは、男・女のような相対するものだけではない。
神と人、天と地、親と子、食べる物、それらは遠くて近い。
分けて考えてはならない。
この世は、2つで一つ。
相対する2つのものから生命や尊きものが生まれ出る。
すべてがつながり、すべてが影響し合っている。
神を粗末にすれば、神に泣く。
土を尊べば、土が救ってくれる。
ただ、「尊ぶこと」を今の人間は忘れている。
神ばかり手を合わせても、尊んでもならない。
生きとし生けるもの、存在のすべても、何もかも尊ぶようにする。
鉱物も、微生物も、植物も、人も、雲も、光も、水も、空気も…
そうすれば、すべてが味方となるだろう。
敵を尊べば、敵が敵でなくなる。
いつまでも敵だと思えば、
勝っても負けても同じことの繰り返しになる。
だから堂々巡りの人生になっていく。
心の根っこでは、誰もそれを望んではないはず。
そのために生まれてきたのでないはず。
曇った目で見ていると、敵にしか見えなくなる。
過去に曇った目を、未だに持っているから変わらない。
すべては動いている。
すべては変化している。
すべては進化している。
それは人も同じこと。
便利な道具をつくりだすことに多くの時間をかけているが、
人間の精神性がなかなか進化しないのは、心が曇ったままだから。
人間の作り出した不調和なルールにとらわれ、
それに気づかぬままに飲み込まれたまま、
何度も、何世も生きているから。
曇りを取れば、敵という幻想から目覚める。
目覚めれば、敵ではなくなる。
人間には神と同じ御魂を授けてあるのだから。
磨けば神になる。
進化の方向は、自然の仕組みという神。
曇りを取れば天晴れる。
この記事は以下の書籍の内容の一部を抜粋し表現を変更して掲載しております。
参考・引用:書籍「よひとやむみな」穂乃子 著 91p – 93p
ナチュラルスピリット出版
