正論で相手を裁く前に一歩立ち止まり、その行動の意味を深く探ることの重要性を考えます。
正論は時には相手を支配する手段となってしまうため、それを見極め、相手を尊重したコミュニケーションを目指すことが必要です。
この記事では、正論に頼りすぎることの落とし穴を明らかにし、相手との関係をより豊かにするアプローチをご紹介いたします。
正論で相手を裁く前に
あなたは相手から正論で裁かれたり、逆に相手を裁こうとした経験はありませんか?
正論は、会社や法律のルールや規則等で決められていることや常識など、実に様々なものに存在しますしから、明らかに相手が逸脱していたり、間違いがある場合に、規則やルールに則って指摘するのは当然なことです。
しかし、いつどんな時もルール一辺倒で押し切ろうとするのは、目的がルールを遵守することそれ自体になってしまって、本来の目的を見失っている場合だってあるのです。
結局、裁くということは、相手を尊重せずに支配しようとしているのです。
できれば、正しい、間違い、を超えて、今、この場で起きていることには何の意味があるのか、という大きな視点を持つことは、重要なことではないでしょうか。
正論に頼ることは、一見、公正で合理的な判断を下す方法に見えますが、その裏には数多くの弊害が潜んでいますし、規則やルールを一方的に押し付けることで、対話が窒息し、相手を尊重せずに支配する形に陥りがちです。
つまり、正論の限界とその弊害があるとすれば…それは、人々の間で摩耗や不満を引き起こす原因ともなりかねないということです。
では、どうすればいいのでしょうか。
その一つのヒントは、大岡裁きと呼ばれるような視点で物事を捉える方を模索することです。
人の人情を理解する「大岡裁き」とは
「『大岡裁き』は、江戸時代に名奉行として活動した大岡越前守忠相が、行政官として司法の公正化や民衆の生活問題に取り組み、後世の庶民にも親しまれ、彼の裁きは公平で人々の心をつかむものであり、今でも「大岡裁き」という言葉は賢明かつ公正な裁判を指す言葉として使われることがあります。
大岡裁きの簡単なポイント
- 公正かつ独創的な裁き: 忠相は常に公平であり、さまざまな角度から問題を検討しました。
- 心理的洞察: 忠相は人々の心理を深く理解しており、それを利用して事件を解決しました。
- 人々の支持: 彼の裁きは人々に非常に評価され、多くの支持を受けました。
大岡裁きの逸話
- 盗人と名主の話:
ある村の名主が盗人を捕らえ、その財布を自分のものにしようとしていた。大岡忠相は財布の持ち主を見つけるため、それぞれの主張を聞き、財布に隠れた仕掛けを用いて本当の持ち主を見つけ出しました。 - 消えた笛の話:
子供が笛をなくし、それを拾った老人が笛を返してくれなかった。忠相は両者を呼び、笛を吹かせて真の持ち主を見つけました。子供が笛を吹くと、犬が喜んで駆け寄ってきたことから、子供が真の持ち主であることが証明されました。
このような視点を持ち、相手の立場や感情を理解し、フェアな意見交換を目指すことで、さまざまな問題解決に活かしていきましょう。
補足:人を裁かないために
実は、私達は日常生活のいろんな場面で、知らず知らずに人を裁いていることがあります。
例えば、小学校のテストで55点をとって、親に答案用紙を見せた場合、「もっと頑張りなさい!」「もうちょっと勉強しないとだめね」と、多くの子供は言われるでしょう。
でもよく考えてください。テストの問題の半分以上は正解しているわけです。
「半分以上正解した」という事実に対する承認はなく、批判されたり、叱られたりします。
これは、親自身が褒められたことが少なく、やはり同じように裁かれ育ってきた経験が多く、子を上手く褒めてあげることができないのです。
親はとかく自分の理想を子に押し付けがちですが、今、目の前でただ生きてくれている、その当たり前のことを忘れがちです。
そのことを時々思い出すと、生きてくれていることそのことが奇跡だということに気がつくかもしれませんね。
まとめ
この記事を通じて、ルールや規則に囚われることなく、目前の状況に存在する深い意味を理解する重要性を説明してきました。
良いコミュニケーションは理解と共感から始まります。
新しい視点で関係を築いていきましょう。
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